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高松高等裁判所 昭和24年(ネ)79号 判決

控訴人(原告) 小松博美

被控訴人(被告) 高知県農地委員会

一、主  文

原判決を次の通り変更する。

被控訴人が高知縣長岡郡大篠村大踊植松板釣畑甲二〇五七番田十七歩外二十一筆、計一町三反二十五歩及び畑二十三歩につき昭和二十二年九月三十日した訴願棄却の裁決はその農地保有量七反歩に関する限度においてこれを取消す。

訴訟費用は第一、二審共二分し各当事者の平等負担とす。

二、請求の趣旨

控訴代理人は原判決の一部を取消し主文第二項同旨の判決を求める。

三、事  実

当事者双方の事実上の陳述は原判決摘示と同一であるからその記載をここに引用する。(立証省略)

四、理  由

訴外高知縣長岡郡大篠村農地委員会が昭和二十二年七月自作農創設特別措置法附則第二項(昭和二十一年十月二十一日法律第四十三号)により昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き控訴人所有の高知縣長岡郡大篠村大踊植松板釣畑甲二〇五七番田十七歩外二十一筆、計一町三反二十五歩及び畑二十三歩につき不在地主の所有する小作地として買收計画を定めたこと、控訴人が同委員会に対し異議を申立てこれを却下せられたので更に昭和二十二年八月被控訴人に対し訴願をしたところ同年九月三十日訴願棄却の裁決を受けたことは当事者間に爭がない。

控訴人は昭和二十年八月終戰当時大邱地方法院長として朝鮮に在住し肩書大篠村へ引揚げたのは昭和二十一年一月下旬であるけれども日本国のポツダム宣言受諾により外地に居住する日本国民の住所は引揚げを待たず法律上当然内地の本籍地に復帰したから昭和二十年十一月二十三日当時の控訴人の住所は大篠村にあつたと主張し控訴人がその主張の如く朝鮮に在住し昭和二十一年一月下旬大篠村に帰つたことは被控訴人の認めるところであり又ポツダム宣言の受諾により外地居住者は特別の事由のない限り日本内地に引揚げ帰国しなければならないことは肯けるが住所は生活の本拠を定める個人の自由な意思と現実に居住する客観的事実とによつて定まるものと解すべきところ外地居住者の意思と内地居住の事実を問わず終戰と共にその住所を当然に内地の本籍地に限定して復帰させるというやうな趣旨は同宣言からこれを窺えないから昭和二十年十一月二十三日当時朝鮮に在住しながら大篠村に住所があつた旨の控訴人の主張は採用できない。

進んで昭和二十年十一月二十三日現在の不在地主であることに基き定められた本件買收計画が相当であるかどうかを考えるに前記自作農創設特別措置法附則第二項の遡及買收の法意は從來農地所在地以外に住所を有しながら買收計画までに住所を農地所在地に変更しただけで買收を免れるという不当な結果を防止するにあるものと解すべく然るに原審証人池本猪三郎の証言及び当審における被控人本人訊問の結果を綜合すれば終戰当時大邱地方法院長の職にあつた控訴人は一般引揚者と同様内地に帰国しなければならなくなり一日も早く帰国して大篠村に居住すべき意思を懷きながら上司及び進駐軍の指示、命令により任地に止まつて残務の処理と事務引継の任にあたり慚くこれを終つて昭和二十一年一月下旬帰国し大篠村に住居を定めたことが認められる。從つて控訴人が大篠村に住所を定めたのは固よりその所有農地の買收を免れるやうな意図をもつてなされたものでないことは明らかであり、然かも一般外地引揚者が一朝にしてその地位と産を失い精神的にも物質的にも言語に絶する苦痛をなめ同情に堪えない境遇に陷つたことは顕著な事実であり控訴人もその例に洩れないものというべきである。以上の事実を考え合せると昭和二十一年下旬から大篠村に住所を有する控訴人に対し昭和二十年十一月二十三日当時大篠村に在住しなかつた一事を捉えその農地を遡及買收する本件計画は極めて苛酷に失するのみならず前記法意にも副わないものといわざるを得ない。即ち右計画は前記附則第二項に定むる買收を相当と認める場合に当らないから買收計画に対する訴願を棄却した裁決は違法である。そして本訴が法定期間内に提起せられたことは本件記録に徴し明らかであるから本訴は控訴人が訴願に対する裁決の取消を求める限度においてこれを認容すべくこの判定と符合しない原判決を民事訴訟法第三百八十五條により変更し訴訟費用の負担につき同法第九十六條第九十二條第八十九條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 前田寛 三野盛一 森原敏一)

原審判決の主文及び事実

主文

原告の請求は棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

事実

原告はその請求の原因として

本件農地は原告の所有であるが、訴外大篠村農地委員会が昭和二十二年七月自作農創設特別措置法附則第二項により昭和二十年十一月二十三日の事実に基きこの農地につき不在地主の所有する小作地として買收計画を定めたので原告は異議の申立をしたが却下せられ更に被告に対し昭和二十二年八月訴願を提起したところ被告は同年九月三十日これを棄却する裁決をした。しかし本件農地は昭和二十年十一月二十三日当時原告が賃貸した小作地ではあつたが(一)原告は同年八月終戰当時大邱地方法院長として朝鮮に住んでいて当時朝鮮総督竝に米国進駐軍から任地を離るべからずとの命令があつたため、原告が内地の本籍地である肩書住所に引揚げることができたのは昭和二十一年一月下旬のことであつて昭和二十年十一月二十三日までに内地に帰還することは事実上、法律上絶対不能なことであつた。而して「法律は不能を強いず」との原則は刑事、民事その他すべての法律に通ずる例外のない鉄則であるが、昭和二十年十一月二十三日の事実に基き原告が不在地主であることを理由に本件農地につき買收計画を定めることは原告にこの事実上、法律上不能なことを強いるものである。(二)しかも日本がポツダム宣言を受諾することにより外地居住の国民の住所は法律上当然に内地の本籍地に復帰したものであるから原告は昭和二十年十一月二十三日当時いわゆる不在地主ではない。(三)更に自作農創設特別措置法は計画を定める当時の事実に基き買收するのを原則とし昭和二十年十一月二十三日に遡及して買收計画を定めるのは例外で即ち「相当と認めるとき」に限りできることでありしかもこの場合も買收しなければならないものではない。しかるに「相当と認める」べき事由が何もなく、又買收の申請もないのに職権で昭和二十年十一月二十三日の事実に基き本件買收計画は定められたものである。これらの点からして本件農地につき昭和二十年十一月二十三日の事実に基き定められた買收計画は違法である。從つてこの買收計画に対し原告が提起した訴願を被告が棄却した裁決は違法である。そこで原告はその取消を求めるため本訴に及んだものである。なお原告は本件農地を小作人から取上げ自作しようとするものではなくただその所有権を確保しようとするだけのものであると述べた。(立証省略)

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する」との判決を求め、原告主張事実に対し本件農地を原告が所有していたこと、訴外大篠村農地委員会が本件農地につき原告主張のような買收計画を定め原告のこれに対する異議の申立を却下したこと、被告が原告の訴願に対し昭和二十二年九月三十日棄却の裁決をしたこと及び原告が終戰当時その主張するような職にあり内地の本籍地に引揚げたのは昭和二十一年一月下旬であることは認める。而して原告が自認しているように昭和二十年十一月二十三日当時原告は朝鮮に居住していて内地に住所がなく且つ本件農地は原告が賃貸した小作地であつた。原告その余の主張事実はすべて爭う。大篠村農地委員会は昭和二十年十一月二十三日当時と本件買收計画を定めた時とでは原告の住所が異るので自作農創設特別措置法附則第二項、同法施行令第四十五條により職権で昭和二十年十一月二十三日の事実に基き買收計画を定めることの可否につき審議の上本件買收計画を定めたものであるが、自作農創設制度の目的と小作人が長期にわたりこの農地を耕作していること、原告はこの農地がなくても生活に支障がない事情等を考え合せこの買收計画は相当である。從つて被告が原告の訴願を棄却した裁決に違法な点は何もないと述べた。

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